12月が子(ね)の月になった知られざる秘密とは?

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なぜ12月が子の月か興味がある方へ

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子の月

九星気学コンサルタント碓氷です。

今年は酉年ですが、
来年は戌年です。

また、年に干支があるように、
月にも干支があります。

そして、

12月が子(ね)の月って、
あなたは知ってましたか?

子と言えば、干支の始まり。
それが、なぜ12月なのか?

新暦の正月である1月でなく、
旧歴の正月である2月でもなく、

なぜ12月が子の月なのか?

今回は、これがテーマです。

以下、本文に続く

暦の豆知識

月の干支は北斗七星で決められていた

月初日の夕方に、北斗七星の
ひしゃくの柄が向いた方位を
月建といいますが、

古代中国の周※で、月建が北を
向いた月を子の月とされました。

ですから、月建が、

東を向くと卯の月、
南を向くと丑の月、
西を向くと酉の月、

と定められました。

であれば、

干支の初めが子なのだから、
その月が一年の始まりである。

正月になるのが自然だと、
普通ならば思うはずです。

事実、

周王朝では、冬至を含んだ12月を
正月としていました。

なぜ、それが変わったのか?

※ 周

紀元前1046年頃-紀元前256年

漢の時代に寅月が正月になった

太陽の歳差運動によって、月建は
72年に1度ずつずれていきます。
(2170年に30度)

ここで、

古代中国の王朝を並べると

夏→殷→周、となりますが、

夏の時代:月建が寅の時に正月
殷の時代:月建が丑の時に正月
周の時代:月建が子の時に正月

のように循環していた(はず)。
(三正循環説)

と天文観測の結果によって、
周の人は考えていました。

そして、

王朝が代わって漢の時代になり、

三正循環説に基づき、夏の時代の
正月を漢の王朝が採用しました。

それが、

現代まで踏襲され、旧歴(太陰暦)
の正月、つまり、2月が寅の月と
されている理由です。

要するに、

「周」王朝が子の月を定め、
それを正月としたが、

「漢」王朝が寅の月を正月(旧暦)
に変え、それが現代に伝えられた。

だから、

12月が、干支の始まりである
子の月なのです。

できるだけ簡単に解説しましたが
ちょっと、ややこしかったですか?

以上、

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編集後記

その1:ポン酢とフルーツポンチの知られざる関係とは?

鍋の美味しい季節になりました。

そこで、

私たち日本人にとって、
鍋に欠かせない調味料がポン酢。

ポン酢の名前の由来について
ちょっとご紹介します。

インド(サンスクリット語)で"5"
をパンチャと言いますが、

これは、

レモン、砂糖、塩、紅茶、香辛料
の5つの素材から作った胃腸の
飲料薬の意味でもありました。

それがオランダに伝わり、
ポンスと名を変え食前酒として
飲まれるようになりました。

それが日本にも伝えられ、飲み物
としてよりも、柑橘類の果汁が
入った調味料になったのです。

一方、

イギリスに伝わると、果汁などを
混ぜたアルコール飲料を「パンチ」
と呼ぶようになり、

今では、果物を入れた飲み物や
デザートをフルーツポンチという
ようになったのです。

つまり、

ポン酢とフルーツポンチは、
インド生まれの親戚だったのです。

で、私がポン酢を愛用するのは
あの酸味が何とも好みなのです。

特に、今の時期、

自家製のユズを入れて酸味を
さらに強くして使ってます。

塩分も少なくて健康的ですよね。

健康的だから愛用しているわけ
ではないですが。

その2:分からないことはサイト内で調べましょう

■お水取り祐気取りの百科事典

■サイト内で調べる方法

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